環総合 我那覇のワタクシ的ブログ

日常の事、思ったことを綴ります。 ただ単に私的なブログでございます。

日々徒然

家族への誓い

日曜日に息子と妻とで鬼ごっこをした。

息子が自分は鬼ごっこが上手だと自慢する。
足が速いと自慢する。
そんな息子が妻を思いっきり追いかける姿や、一生懸命に逃げる姿を見つつ
転ぶんじゃないかと心配するのと、本当に大きくなったなぁと実感した。
4歳と8ヶ月になった。
ケタケタと笑いながら走り回る息子を見ると実に感慨深いものがある。
これからも大きくなる息子と、共に老いてゆく妻のために頑張ろうと、改めて気が引き締まった。

贅沢なんてしてられない。
全ては未来のため。精神的にゆとりのある将来を手繰り寄せるため。
何より息子の笑顔を守るためだと思い自分を戒めた。
もっとストイックにいかなくてはならない。
成功するも失敗するも己次第。
妻と子には不自由はさせないと
決心したはずだと、自分で再認識した。

これからも息子の喜ぶ顔を見るために、
見続けるためにと己を奮い立たせながら、走り回る息子を目で追いつつ、
ただただ息子の笑顔が見たいなぁと考えていたら、息子の喜ぶ顔見たさに、今日はマックに行こうと思った。

そしてハッピーセットを頼みながら
『甘い!こんなんじゃダメだ。もっとストイックにならねば』と思った。

と、まぁだいたい毎日こんな感じの繰り返しである。




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日々徒然

妻が病を得て一ヶ月ほど入院していることがあった。
病名は髄膜腫。
頭の中の髄膜にできるからそのような名前で、その腫瘍の摘出手術は頭を開いて行われた。

一ヶ月もの長い間、妻がいない生活というものは、子供も小さいということもあり大変なものだった。仕事も安定せず気持ちが不安なうえ、妻への不安やこの先の不安なども考えると全てに明るい要素を見ることができずに毎日が過ぎていった。
とりわけ子供は小さいながらも自分の不安と上手に付き合っているように見えたが、やはり堪えきれずに泣くことが多かった。
そんな生活のなか妻の手術の日を迎えることになった。

ふだんから弱いくせに気丈に振舞う妻を手術室へ見送った後、ひたすら手術の成功を祈った。朝の8時から開始で16時には終わる予定だということと、手術中は何の情報も私には届かないということを伝えられた。
その間することといえば、悲観的になろとする自分を叱咤し、楽観的になろうと自分を励まし、ただただひたすらに祈るのみであった。

そうこうするうちに16時前になった。
頑張った妻を迎えようと手術室の前でまったが妻は出てこなかった。
17時になっても18時になっても出てこなかった。
私の頭にいやな想像がまとわりつきながら21時を迎えたころには、この先のことに覚悟を決めようとしていた。
しかし、弱い弱い私は覚悟を決めることも出来ず、ただただ手術の成功を祈るだけで精一杯だった。
それから22時頃手術が終わったと看護師から伝えられたが、終わったこと以外に何も教えてもらえずにさらに1時間が過ぎた。
すでに予定を6時間以上過ぎて、手術室に入ってからは14時間以上が経過しており、「無事ではないかもしれない」という思いが私には確定的となっていた。

その時、関係者エレベーターが開いた。
看護師やら医者やらがぞろぞろと出てきて、そのなかに紛れてベッドに横たわる妻がいた。
妻は包帯だらけの頭と何本ものチューブやら色んなものでごちゃごちゃになっており、
とりあえず妻は生きているのだろうかと狼狽える自分に、担当医が後ろから声をかけた。
『待たせたね』と。
たったの一言である。
この一言でかなりの不安が払拭された。
自信のこもった一言に私は手術の成功を確信し、ありがとうございましたと返した。
結果もその通りで妻の手術は成功しており、経過観察は必要だが無事に腫瘍を摘出できたということだった。
私はそれを聞いて気と力が一気に抜けた。
同時に手術を戦い抜いた妻には本当にお疲れ様と声をかけたかった。

それにしても10時間以上、頭の手術をするなどと並大抵の集中力ではないはずで、それにともなう体力の消費も凄まじいものであるはずなのに、それらを乗り越えてさらに手術成功の手土産をもって『またせたね』と言い放てるのには驚きだった。
今思えば先生の周りには多少の後光が差していたようにも思える。
まさに世界一カッコイイ『またせたね』である。

私にもいつか言うことができるのだろうかと思うと甚だ疑問である。
人を待たせてはいけないとオドオドと小心者な私には到底一生及ばぬのだろうなとその方が腑に落ちる。

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日々徒然

ファミリーマートで私の行動が度々、店員さんを惑わしている。

というのもレジでのお会計の時によくある事で
一連の流れとしてはたとえば以下の通りである。

店員「合計で826円になりまーす。」

私「1000円と」ゴソゴソ…ゴソゴソ…あったあった「はい26円ね。」

店員「それでは1026円いただきます。はい200円のお返しです。ありがとうございまし
た。」

私「はーいどうもー」200円募金っと!!ガシャ

店員「……(え?なぜ26円だした)』

と、まぁこのような感じ。
声には出さないが表情は明らかに『この客は何故26円だしたのだろう』と思っている。
そのたんびに私は『店員さん違いますよ。これは私の日々の行動の一つなんですよ』と言いたい。

私が継続して行う行動の一つに募金活動があって、
その活動には営業利益の1%をユニセフに募金することと、
ファミリーマートにある募金箱セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンへ募金すること。
この二つが私の募金活動の主であるが、
セーブ・ザ・チルドレンにおいて私は、銅やアルミニウムではなく銀貨を差し上げたいのである。
私だけがチョコやコーヒーで平和を謳歌するのではなく、
あの小さな写真に載っている子供達と平和にチョコを楽しんでいる気分になるが為に募金しているのであり、そのためには銅やアルミニウムではなく、少なくとも自分の生活に打撃を与えうる銀貨を差し出しているのである。
さらに言えば、『いつか君達に直接あって話ができるように』と心の中でつぶやいている。
そういう心意気なのである。

私は大体同じ時間、同じコンビニへよく行くので同じ店員さんが対応することは多い。
これからも私は、店員さんにとってこの謎の行動をやめるつもりはない。
可能な限りお釣りを調整して銀貨を募金する。

ちなみにセーブ・ザ・チルドレンは素晴らしい活動を続けて来年で100年になる。
これからもファミリーマートがこの募金活動を続けていきますように。



日々徒然

年と涙

『悲』という字を調べた。
年をとって涙もろくなったからである。

『悲』という字はサンスクリットでカルナーといい、ため息や呻き声のことを意味するそうだ。
他人の痛みが自分の痛みのように感じられるにもかかわらず、
その人の痛みを自分の力ではどうしても癒すことができない。
そして、その人に成り代わり、痛みに苦しむ人を安んじてあげることができない。
そのことが辛く、思わず体のそこから『あぁ…』と絞り出される呻き声。
その呻き声がカルナーで中国の人はそれを『悲』と漢字に記した。
悲しいという字には、己の不幸を嘆くのではく、他人を思いやるお人好しな優しさがある。

歳をとるにつれ涙もろくなるのは、己の経験や知識が増えると同時に他人の痛みが『痛かっただろうな。辛かっただろうな』
と同調することが出来るようになる事なのだろうと思った。
それはカルナーを知ることであり、人間的要素のなかでも一番大事なことなのではないかと思った。

それともう一つ涙もろさのわけには、人が大人になっていくに伴い、
辛いことを我慢したり、人に頼りたくても一人で耐え忍び、または、逃げ出したことへの後悔や相談できなかった悩みなど、
これまで涙で流していたことが大人になって人前で泣くことができなくなり、
流れ出そうとする涙に堰をたてて、少しづつ事あるごとに涙の水嵩が増しているのようにも思う。
それが、ふとしたときに流れる曲や、現れる風景などをきっかけに堰を超えてポロっと溢れるのではないかと思った。

しかし、そういう涙を流した後は妙にスッキリとする。
それ故に子供が思う存分泣き喚くのを気持ち良さそうだなとさえ思う。
たまにでいいからだれも見てないところで映画などを観て
しゃっくりがでるほど泣き喚くのも必要である。


日々徒然

お盆


お盆について

お盆の期間は地方によって分かれる。
旧暦の七月十三、十四、十五日に行う地方と、新暦の八月十五日を中心に行う地方であるが、
沖縄では旧暦の七月七日(七夕)から始まる。

旧暦の七夕より始まると聞いて意外に思われる方も多い。
が、祖霊信仰の強い沖縄では旧暦の七夕にご先祖様の眠るお墓へ参り、清めたのち、お盆であることをご先祖様に伝えるのである。
そして旧暦七月十三日から十五日の間に
・お迎え(ウンケー)
・お中元周り(ナカビー)
・送り(ウークイ)
と、それらがお仏壇のある家々で行われる。
それが賑やかな家もあれば、かつては賑やかであったが、人が減り寂しくなった家など栄枯盛衰様々である。

お盆の起源については、七月十五日を中心に、七月十三日から十六日の四日間に行われる盂蘭盆会(うらぼんえ)という仏教行事が、
時代とともに民衆に浸透し、変化を続け現在に至ったものであるそうだが、はっきりしたものはない。

そもそも、仏教に祖霊信仰はなく、それが現在の『お盆』となるには、仏教が広まる過程において、神道や民間信仰などを
日本人にとって都合よく取り入れられたものだろうと想像がつく。
もう一つ面白いことに、お中元についても、もとは仏教とは違う道教の行事である。
道教には一年を上元、中元、下元と分けた行事があり旧暦7月15日がその中元にあたり、その中元がそのまま現在に所以している。
ちなみに、中元の行事は『生身玉』と言われ、かつては皆で集まり現在の生を喜ぶという性質があったそうで、
現在の『お盆』が死者を迎える性質をもっているのとは逆である。
もしかしたら現在のお中元周りには、ご先祖様へのお供えという以外にも、身近であったり、またご無沙汰であったりと、
どちらにせよ、お世話になった方々への感謝と無事を伝える役割をになっているのかもしれない。

それにしても、道教や仏教、また、土着宗教や思想などが混じっていく経緯を想像するだけでも
なんとも長い歴史を感じることができる。
その長い歴史の中でも、特に祖先を敬うという一点が突出し大事にされている行事ということが、いかにも日本人的で温かくていい。

また、各家庭においても作法が小さく異なることも面白い。
それぞれの儀式の最中に『こうじゃないのではないか』とか『順番がちがうのではないか』とか教えてくれる方がいたりして、このようにして『お盆』はまた少しづつ変化を続けていく行事かもしれないとも思う。
もっぱら、行事というものは往々にしてそのようなもので、少しづつ変化を続けていく生き物のようなモノかも知れない。

とにかく今年もご先祖様をお迎えし、そして送ることができてホッとしている。
また、毎年感じることで、ウンケーを終えた後、この日の夜は不思議と空気が静かになる。
魂が帰ることで静かになるのだろうと思うのだが、
最近では、魂があの世とこの世を移動するのではなく、ウンケーの儀式を行うことで、この世とあの世の境界が曖昧になっているのではないか。そしてまたウークイの儀式を行うことで境界がハッキリとし、もとに戻っているのではと思うこともある。
まったく不思議だなと考えるのは私だけだろうか。

日々徒然

日本全国桜の季節が終わり、
沖縄はいよいよ梅雨の季節である。
季節がまためぐり春が来るのを待てるように桜について少しだけ。

白洲正子
(かくれ里 桜の寺)
「桜は、人くさい花である。
深山にもないことはないが、山の天辺にいい桜がある。
と思うと必ず近くに部落がある。
自然の花でありながら、実生では育ちにくいのと、
豊作を祈ったり、占ったりするための、生活に必要な植物だったからに違いない」

と最近読んだ本の一節にあった
以上の文体からいかにも山深き集落の隅に百年をゆうにこえる桜が風にゆられているようである。
それにしても桜というのは、なるほど人くさいのである。
まことに言い得て妙であると思った。
今の今まで桜を美しいとは思えど、人くさいなどとは思ったことはない。
「豊作を祈ったり、占ったりするための、生活に必要な植物だったからに違いない」
「いい桜がある」と書いた後で風情を欠きつつも情緒あふれるものだと思った。
それらは、やはり桜がそうさせるのであって、書き手も玄人だが、
読み手としても、春の季節が訪れるたびに1000年以上「桜」を話題にしてきた玄人民族であり、
人くさい花と言われてもなるほど感じることが多いのではないだろうか。

日本は美しいと思う。
この国が美しいと言われる所以は、おおよそそこにいる人が、その周りにいる人達とともに、
2000年をこえる古からの末裔であり、共に共通する歴史を懐かしむことができる。
また、それによって繋がっていることだと思う。
桜はその共通の歴史に彩りを添える役割をになっているのだと思った。

と書きつつも夏の風物も楽しみであるし、また秋の紅葉も冬の雪景色も楽しみなもので
沖縄にいると、それらがもどかしく思うのもまた四季への思いをかりたてるのである。



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日々徒然

眠れないとき

私は、寝れなくなることが多い。
寝るタイミングを逃すと、もう駄目で、あとは夜中の3時ごろまでは起きている。
薬局で睡眠導入剤を買い、試したこともある。

寝るためにいろいろ試したが、ほとんど無駄だった。
その中でも、たまに効果を発揮するものがある。

『無』を想像するのだ、
『無とはどんな感じか』を想像し、身の回りから少しずつ『有』を取り払っていく。
想像は、服を取り払い、そして力を抜いていく。
頭から順に肩、腕、指、胴、尻、足、と力を抜いたら、あとは深い海に沈んでいく。
身体が溶けていくようイメージをしながら沈んでいくのだ。
深く
深く
次第に光は届かなくなり、暗くなっていく。
それでもまだ深く。
真っ暗になるまで沈んだ頃には、身体は溶けてしまい意識だけとなる。
そして、次は周りから海を取り払ってしまう。
すると次第に少し明るくなり、次に明るさの方へ意識を持っていく。
あとはホワイトアウト状態で意識の中には何も存在しない。
ここまで出来れば、もう取り払う『有』を想像することはできず眠りに落ちることがある。

とは言っても失敗することが多い。
海に沈んでいくときに、大概苦しくなってしまう。
エラ呼吸のイメージに成功して深く沈んで行っても、『無』のイメージを成功させるために、
エラを取り払う時には、また苦しくなってしまうというジレンマに襲われる。

もし、眠れないと悩まれる方がいれば。
是非試してみてほしい。
不思議なことに、うまくいってホワイトアウトな状態まで意識を持っていければ、朝もすっきりと起きることができる。

今日の濃霧をみて
よくイメージするホワイトアウトになる手前の状態に似ていると思ったので、今日の記事にした。
3月4日 朝 具志川ビーチにて

ともあれ、寝るのに一番いい方法は、
『寝るタイミングが来る前に、やるべきことは終えておく事』
もう一つは、『寝るタイミングがきたら、やるべき全ての事をあきらめてしまう』のいずれかである。

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日々徒然

ブログを始めてから、物事を少し掘り下げて考えてみたり、
客観的に見ようとすることが多くなった。
そのせいか、思わぬことに気付くことも少し増えた気がする。

今日は、『今を生きる』ということに少しだけ閃きを感じた。
仏教では『今を生きる』そのことが重要であり思想としてあることは以前から知ってはいたが、
そのことについて、ほとんど考えたこともなかった。
『今を生きる』なんて今現在生きている以上、ほかに何があるんだと思っていたし、
これまで『今』というものに、注意など払ったことがなかった。

閃きを感じたと言っても、『今』について、理解するにはまだまだ遠い気がするが、
ブログを始めてから気付いたことの一つなので、これを今日の記事にする。

ふと気づいたことで自信はあまりない。
恐らくではあるが、『今』を生きることを極めれば、全員その場で自由になれると思った。

と言うのも、現代の私たちは、未来に備えて生きている。
明日を生きるために、来月の収入のために、または来年や老後のために働いている。
それは未来に縛られており、多分に『今』を生きているのではないと思った。

即ち、未来に縛られることが無ければ『今』を満喫できるのではなく
『今』を生きることができれば未来に縛られることが無いということだ。

だからこそきっと、茶道や剣道、弓道などには厳しい型が存在するのだとも思った。
厳しい型の通り事を運び、さらにその次の所作も決まっている。故に一瞬々々に精神を集中することができる。
言い換えれば、俗世のしきたりや、未来への不安などからは、所作の間は完全に解き放たれていると言える。
完璧に決められていて、それが故に自由なのである。

決められているが故に自由。
光と影が一つであるように表裏一体なんだろうと思った。

しかし、気付きはしたものの『今』を意識するなど、まだまだ難しくてできそうにない。
なぜなら、私は童話『アリとキリギリス』ではアリが正しいと習っており、それが正しいと思って生きてきた。
アリは未来を想定し生きており、きっとキリギリスの方は『今』を生きている。

『今を生きる』ということを禅語では而今(にこん)という。
今一度、而今について調べてみたら
「過ぎ去った時」「この瞬間」は二度と戻ってこない。
ということを表した禅語で、絶対の生命の真実は「今」この時をおいて他にない。
「今」この瞬間を大切に生きなければならないという意味だそうだ。

やはりキリギリス流なのか。
おかげで一概にキリギリスが悪いと言えなくなってきた。なんとも深い童話である。

書けば少し考えもまとまるのではないかと思ったが、
やはり簡単には解りそうもないので、本日は寝ることといたします
おやすみなさい。

息子にキリギリスについて聞かれないことを祈るのみである




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日々徒然

沖縄県民のソウルフード沖縄そば。

大半の県民はマイベスト店を独自に持っているし
どこそこの店が美味いだの、味が変わっただのと話題作りにも使える。

ただ、少々困るのは
ここが一番美味いと言って連れられていく場合だ。
よっぽどの事がないかぎり、沖縄そばが美味しくないという場合はないのだが、
私は、私なりのマイベスト店は決まっているため、
このポジションが覆ることは、ありえないと言っていい。

困るといったのは、感想を求められる場合である。
どうだ美味いだろうと、同意を求められた時の返答として、
私が正直に答えてもよいのなら
『美味しいですね。しかし、私のイチオシはもっと美味いですよ』
と言いたくなる。
しかし、営業職として仕事の付き合いで言えないことが多い。
たとえ、正直に答えたとしても、ならば連れて行ってくれとなり、
店を紹介したところで、相手のマイベスト店が覆ることはなく、
『美味いけど、オレのところがもっと美味いだろう』となって、あとは平行線である。
沖縄県民なら、必ずと言っていいほど、この経験はあるはずである。

そば好きはそば好きが故に、それぞれこだわりがある。

こんな記事を書いておいて言うことではないが
私が、そばを食べに誘われなくなることはもっと困るので、
是非々々、誘って頂きたい。
さらに言わせてもらえば、
ブログを読んだと私に言った上で誘って頂ければ、
私も正直に感想を言うことができる。

実際のところ、どこへいっても沖縄そばはほとんどの店が旨い。

しかし、沖縄市宮里にある『な~ざとや』は群を抜いて旨いのである。
な~ざとや そーきそば

是非一度、食べてみてくださいませ。

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プロフィール
環総合
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環総合 代表の我那覇と申します。
主に外壁の塗装と防水工事を商っております。
他にも協力会社との連携により内装のリフォームなどお客様のご要望にお応えできるよう日々勤めております。
このブログは仕事の事ばかりでは堅苦しいので、私の息抜きという意味からも日常のことを綴ろうかと考えています。
間違ったことがあれば是非ご指摘くださいませ。


詳しくは環総合公式ホームページ
http://tamakisogo.jp/
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