日々徒然
世界一カッコいい『またせたね』
妻が病を得て一ヶ月ほど入院していることがあった。
病名は髄膜腫。
頭の中の髄膜にできるからそのような名前で、その腫瘍の摘出手術は頭を開いて行われた。
一ヶ月もの長い間、妻がいない生活というものは、子供も小さいということもあり大変なものだった。仕事も安定せず気持ちが不安なうえ、妻への不安やこの先の不安なども考えると全てに明るい要素を見ることができずに毎日が過ぎていった。
とりわけ子供は小さいながらも自分の不安と上手に付き合っているように見えたが、やはり堪えきれずに泣くことが多かった。
そんな生活のなか妻の手術の日を迎えることになった。
ふだんから弱いくせに気丈に振舞う妻を手術室へ見送った後、ひたすら手術の成功を祈った。朝の8時から開始で16時には終わる予定だということと、手術中は何の情報も私には届かないということを伝えられた。
その間することといえば、悲観的になろとする自分を叱咤し、楽観的になろうと自分を励まし、ただただひたすらに祈るのみであった。
そうこうするうちに16時前になった。
頑張った妻を迎えようと手術室の前でまったが妻は出てこなかった。
17時になっても18時になっても出てこなかった。
私の頭にいやな想像がまとわりつきながら21時を迎えたころには、この先のことに覚悟を決めようとしていた。
しかし、弱い弱い私は覚悟を決めることも出来ず、ただただ手術の成功を祈るだけで精一杯だった。
それから22時頃手術が終わったと看護師から伝えられたが、終わったこと以外に何も教えてもらえずにさらに1時間が過ぎた。
すでに予定を6時間以上過ぎて、手術室に入ってからは14時間以上が経過しており、「無事ではないかもしれない」という思いが私には確定的となっていた。
その時、関係者エレベーターが開いた。
看護師やら医者やらがぞろぞろと出てきて、そのなかに紛れてベッドに横たわる妻がいた。
妻は包帯だらけの頭と何本ものチューブやら色んなものでごちゃごちゃになっており、
とりあえず妻は生きているのだろうかと狼狽える自分に、担当医が後ろから声をかけた。
『待たせたね』と。
たったの一言である。
この一言でかなりの不安が払拭された。
自信のこもった一言に私は手術の成功を確信し、ありがとうございましたと返した。
結果もその通りで妻の手術は成功しており、経過観察は必要だが無事に腫瘍を摘出できたということだった。
私はそれを聞いて気と力が一気に抜けた。
同時に手術を戦い抜いた妻には本当にお疲れ様と声をかけたかった。
それにしても10時間以上、頭の手術をするなどと並大抵の集中力ではないはずで、それにともなう体力の消費も凄まじいものであるはずなのに、それらを乗り越えてさらに手術成功の手土産をもって『またせたね』と言い放てるのには驚きだった。
今思えば先生の周りには多少の後光が差していたようにも思える。
まさに世界一カッコイイ『またせたね』である。
私にもいつか言うことができるのだろうかと思うと甚だ疑問である。
人を待たせてはいけないとオドオドと小心者な私には到底一生及ばぬのだろうなとその方が腑に落ちる。
トータルリフォーム環総合
病名は髄膜腫。
頭の中の髄膜にできるからそのような名前で、その腫瘍の摘出手術は頭を開いて行われた。
一ヶ月もの長い間、妻がいない生活というものは、子供も小さいということもあり大変なものだった。仕事も安定せず気持ちが不安なうえ、妻への不安やこの先の不安なども考えると全てに明るい要素を見ることができずに毎日が過ぎていった。
とりわけ子供は小さいながらも自分の不安と上手に付き合っているように見えたが、やはり堪えきれずに泣くことが多かった。
そんな生活のなか妻の手術の日を迎えることになった。
ふだんから弱いくせに気丈に振舞う妻を手術室へ見送った後、ひたすら手術の成功を祈った。朝の8時から開始で16時には終わる予定だということと、手術中は何の情報も私には届かないということを伝えられた。
その間することといえば、悲観的になろとする自分を叱咤し、楽観的になろうと自分を励まし、ただただひたすらに祈るのみであった。
そうこうするうちに16時前になった。
頑張った妻を迎えようと手術室の前でまったが妻は出てこなかった。
17時になっても18時になっても出てこなかった。
私の頭にいやな想像がまとわりつきながら21時を迎えたころには、この先のことに覚悟を決めようとしていた。
しかし、弱い弱い私は覚悟を決めることも出来ず、ただただ手術の成功を祈るだけで精一杯だった。
それから22時頃手術が終わったと看護師から伝えられたが、終わったこと以外に何も教えてもらえずにさらに1時間が過ぎた。
すでに予定を6時間以上過ぎて、手術室に入ってからは14時間以上が経過しており、「無事ではないかもしれない」という思いが私には確定的となっていた。
その時、関係者エレベーターが開いた。
看護師やら医者やらがぞろぞろと出てきて、そのなかに紛れてベッドに横たわる妻がいた。
妻は包帯だらけの頭と何本ものチューブやら色んなものでごちゃごちゃになっており、
とりあえず妻は生きているのだろうかと狼狽える自分に、担当医が後ろから声をかけた。
『待たせたね』と。
たったの一言である。
この一言でかなりの不安が払拭された。
自信のこもった一言に私は手術の成功を確信し、ありがとうございましたと返した。
結果もその通りで妻の手術は成功しており、経過観察は必要だが無事に腫瘍を摘出できたということだった。
私はそれを聞いて気と力が一気に抜けた。
同時に手術を戦い抜いた妻には本当にお疲れ様と声をかけたかった。
それにしても10時間以上、頭の手術をするなどと並大抵の集中力ではないはずで、それにともなう体力の消費も凄まじいものであるはずなのに、それらを乗り越えてさらに手術成功の手土産をもって『またせたね』と言い放てるのには驚きだった。
今思えば先生の周りには多少の後光が差していたようにも思える。
まさに世界一カッコイイ『またせたね』である。
私にもいつか言うことができるのだろうかと思うと甚だ疑問である。
人を待たせてはいけないとオドオドと小心者な私には到底一生及ばぬのだろうなとその方が腑に落ちる。
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