日々徒然
春である
春である。
春と言えば桜だが、沖縄では、南部の方をわずかに残し、あとはすっかり葉桜となってしまった。
春は、相変わらず好きにはなれないが、桜の花が落ち始めると、
なにか季節を惜しむようでソワソワしてしまう。
夏が来るのかと、すでに心は秋を待ちわびながら車を運転していると、
西行が渋滞しているらしいと道路案内がでてきた。
しかも500mもである。
朝の時間は貴重なのだが、ふと平安時代の西行法師が『散る花を 惜しむ心や とどまりて また来ん春の たねになるべき』
と詠み、桜の花を愛おしみながら、行こうか留まろうかと500mもウロウロしているのかと想像して一人笑ってしまった。
が、わたしの周りには、和歌や俳句、または短歌といったようなものを好む友人はひとりもなく、また妻に話した所で聞いてはくれるが、暖簾に手押しという具合で話していてもつまらない。
我にかえり、西行きを迂回するルートに道を変えつつ共有できない寂しさとともに、
やはり春は憂鬱であると思った。

トータルリフォーム環総合
春と言えば桜だが、沖縄では、南部の方をわずかに残し、あとはすっかり葉桜となってしまった。
春は、相変わらず好きにはなれないが、桜の花が落ち始めると、
なにか季節を惜しむようでソワソワしてしまう。
夏が来るのかと、すでに心は秋を待ちわびながら車を運転していると、
西行が渋滞しているらしいと道路案内がでてきた。
しかも500mもである。
朝の時間は貴重なのだが、ふと平安時代の西行法師が『散る花を 惜しむ心や とどまりて また来ん春の たねになるべき』
と詠み、桜の花を愛おしみながら、行こうか留まろうかと500mもウロウロしているのかと想像して一人笑ってしまった。
が、わたしの周りには、和歌や俳句、または短歌といったようなものを好む友人はひとりもなく、また妻に話した所で聞いてはくれるが、暖簾に手押しという具合で話していてもつまらない。
我にかえり、西行きを迂回するルートに道を変えつつ共有できない寂しさとともに、
やはり春は憂鬱であると思った。

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