日々徒然
京都編3
京都という土地は、古代より近代に至るまで信仰、文化、政の中心であったが故に、古いものが多く残っている。
なかでも糺の森は、いかにも太古の面影を残しており、
まさに、『何ごとのおはしますかは知らねども』の何かが、古木やせせらぎの中に感じることができる。
糺の森は下鴨神社の参道でもあるが、その鳥居をくぐるころには、何ごとかの偉大さに打たれて、すっかり洗練され己が小さくなっている。
大げさに言えば禊を済ませた後のような気分になるのである。
『何ごとのおはしますかは知らねども』であるにも関わらずである。
目にも見えぬ何ごとかに、手を合わせたくなる日本人の信仰心は、とりわけ、世界でも稀だろうと思う。
その信心は、日本人の情緒の中に、今でも生きており、逆に言えば、その信心の有無に日本人か、そうでないものかに分けることができると言っても言い過ぎでは無いと思う。
ここ10年足らずの間に、京都はすっかり外国人の観光客で埋め尽くされてしまったが、糺の森の『何ごとか』の偉大さを感じることが出来るのは、日本人である証ではないだろうか。
トータルリフォーム環総合
なかでも糺の森は、いかにも太古の面影を残しており、
まさに、『何ごとのおはしますかは知らねども』の何かが、古木やせせらぎの中に感じることができる。
糺の森は下鴨神社の参道でもあるが、その鳥居をくぐるころには、何ごとかの偉大さに打たれて、すっかり洗練され己が小さくなっている。
大げさに言えば禊を済ませた後のような気分になるのである。
『何ごとのおはしますかは知らねども』であるにも関わらずである。
目にも見えぬ何ごとかに、手を合わせたくなる日本人の信仰心は、とりわけ、世界でも稀だろうと思う。
その信心は、日本人の情緒の中に、今でも生きており、逆に言えば、その信心の有無に日本人か、そうでないものかに分けることができると言っても言い過ぎでは無いと思う。
ここ10年足らずの間に、京都はすっかり外国人の観光客で埋め尽くされてしまったが、糺の森の『何ごとか』の偉大さを感じることが出来るのは、日本人である証ではないだろうか。
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