環総合 我那覇のワタクシ的ブログ

日常の事、思ったことを綴ります。 ただ単に私的なブログでございます。

日々徒然

緑茶と土

最近は、よく緑茶を飲んでいる。
というのも漬物が小さなマイブームで、漬物とごはんをお茶漬けにして食べるのが好きなのである。
わけても、野沢菜のお茶漬けが一番ほっとする。
その過程で、余った緑茶を飲むのである。

外でも緑茶を飲もうと、水筒に入れて作業現場へもっていった事がある。
しかし、水筒の性能が向上したせいか、一日中熱くて飲めない。
水分補給ができなければ、水筒ではなく一日中、お茶の香りを楽しめるだけのただの筒である。
こりゃ失敗だと自販機でホットの緑茶を買ってみても、大して美味くはない。

やはり緑茶は急須と茶碗だとおもい
イソイソと家へ帰り、急須に茶を用意し、椀に注いで飲んだ。やはりこれだなと感じた。

高性能の水筒でもなく、ペットボトルでもなければ、缶でもない。
急須から、椀に注がれるお茶は、その間に湯気を立たせて、香りを広げる。
そして、その過程と、容器の温度で絶妙に茶の温度を下げるのである。

また、そのときの茶碗は焼き物で、土でできている。
そのおかげか、茶碗に注がれた緑茶がなんとも自然で、思わず頭の中に茶畑の風景が広がった。
高性能の水筒にもペットボトルにも、そのような幻想は抱かない。

畑があり、茶を植えて育てる人がいる。
土があり、それを焼き上げる人がいる。
その手間暇の末に美味い茶があるんだなと思った。

思わず、土はいいと思った。
もしも、私が死んだときは土葬がいい。洗骨などしなくてもいいから土に帰りたいとも思った。

もしかすると一週間の終わりが、土に帰るのも何か意味があるのかもしれない。

いつか、答えがわかればいいと一つ楽しみができた。


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日々徒然

偉大なる無駄



名護市街の通りを歩いていると、大きなガジュマルの木が必ず目に入る。
この木は1690年ごろから既に有名であったという。
現在では、通りのシンボルであり、街の人たちに親しまれている。

道路を敷く前から、有名であったこの木は、道路をまっすぐひかせることなく自分の周りに道を避けさせた。
これがもし、樹齢10年ほどの木であったなら、容赦なく伐採されていただろうと思った。
また、その順番が逆であっても面白いとも思った。

ここからは妄想だが、道路を造る際に、一本のまだ小さな木があり、
まっすぐに道を通そうとするなら、ただ伐採してしまえばいいだけの話であるのだが、
誰かが『イヤイヤ、切らずに残してゆこう』と言い、そしてそれを実行し、木を回り込むように道を作る。
実に無駄であるが、100年もすれば、きっとその木は、『なんとなく大切にされた木』として呼び名され、
そして、さらに時がたてば、立派な大木となり、人々が、木や土地に愛着を抱くのではないかと思った。

私は、今のギスギスした日本がこのまま続いていけば、後世の人たちが感謝の念を抱くことは、あまりないのではと思っている。

『なんとなく大切にされた木』は、ただの妄想話だが、
今から数百年の後の世が、
『なんとなく大切にされた木』を取り巻くように暮らしている風景は、何ともおおらかで面白い。

人々が、街を大切にし、建物や店にしても、建て替えばかりでなく、
何世代先にも残していけるよう考えていければと思う。
これからの街づくりには、そういう風情のある街となるよう考えていけば良いと思う。
今の世で、そんなことは誠に無駄ではあるが、その無駄を大いに楽しめばいい。
そうすれば、後世の人も、今の世の太っ腹具合を頼もしく思うに違いない。

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日々徒然

資本主義

資本主義への疑問が、いくつになっても自分の中で解決せずにモヤモヤしている。

資本主義は、合理的で効率的な社会を常に目指している。
個人を高めて、社会全体を引き上げ、
そして必要に応じて、競争により突出してきた能力をもった人材を取捨選択していく。

資本主義の根本には、経済がある。それが大前提だ。
経済を回すには、『不安』が一番手っ取り早い。
不安があって
不足があって、それをカバーするために物を買う。
満足するために、あるいは幸せを感じるために。

また、利便性を求めて、これまでかかっていた手間を省いていく。
それがコミュニケーションや、ありがたさを奪っていく。

今の経済は、手間を省き、不安を煽り、経済を回している気がする。
貯金や病気。周りへの嫉妬や、歩調を合わせるための気遣いなど、
そんなもののために、毎日を費やしている。

それが、資本主義であり、現在の日本だ。
別に、資本主義を反対しているわけではない。
私自身、その利便性を大いに利用している。

ただ、その結果つくりあげた国家は、今やカラカラと渇いた、ひび割れた大地のような国になってしまっているのではないかと思うのである。
人間の根っこにある人情や、
日本的情緒のような湿っぽさを吸い尽くしてしまったように感じる。

問題なのは、それに気づかないということだ。

考えてみてほしい。
今、自分の周りの人たちのなかに『そぞろ歩き』を楽しめる人が何人いるだろう。
友人との旅行にて

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日々徒然

海中道路の記憶

ちょっと前に海のあやはし館へ行ってきた。
あやはしとは
琉球最古の歌謡集「おもろそうし」の中に出てくる言葉で 「美しい橋」を表す「あやはし」に由来しているそう。
名前の通り、この橋はきれいではある。
しかし、美しいとは少々違う気がする。

この4.7㎞に及ぶ海中道路は、両側に青い海をはべらせており、干潮になれば、本島からの入り口付近に砂浜が出現して、かなり遠くまで歩くことができるうえ、海に入っても大人の膝下ほどの浅さが続いているため、子供も遊ぶことができる。
干潮時、妻と息子

ほかにもウィンドサーフィンや、カイトサーフィンで賑わうことも多く、夏にはマリンスポーツも盛んである。
道の駅周辺では、バーベキューにはもってこいのベンチが設置されており、週末となると取り合い合戦が始まる。

誠に勝手ではあるが、私的に言えば、美しい橋というよりは、華やかな橋である。

ともあれ、その華やかな橋が架かり、平安座島・宮城島・伊計島・(近年では浜比嘉島)の住民にとって、生活が驚くほど便利になった。
逆に言えば、この橋こそ住民が渇望したものもなかったであろうと思う。

実際に、その願いが島民の原動力となり、
昭和36年に海中道路建設期成会が設立され
同年9月に平安座島から沖縄本島に向け、幅20m、高さ2m。延長1900mまで達する。
これが、驚くべきことに人力である。
人々は、女性から子供まで石を担いで、列をなし歩き、積み上げていった。
それこそ文字の通り、積み上げていったのだ。
道の駅入り口の案内の石版には、写真とともにこう書かれていた。
『人力で立ち向かった離島苦解消への壮絶な戦い。悲願と執念の錯綜する島人の燃える姿』

が、しかし、その橋は台風によって被災してしまう。流されてしまったのだ。
それでも、島民はめげずに、翌年には、コンクリートで橋作りを再びスタートさせ、昭和41年には210mまでに及んだ。

その後、昭和44年に平安座島にガルフ社の石油基地建設がはじまり、
昭和46年に屋慶名から平安座島間を繋ぐ海中道路建設が始まった。
そのわずか1年後の昭和47年には工事が終了し、ガルフ社より与那城村へ海中道路が譲渡される。

伊計島へは昭和57年に伊計大橋がかかり、平成9年になり、ようやく浜比嘉島に橋が架かった。
お互いの島を近くに見ることができても、遠い島々が昭和36年から約40年後にようやくつながった。

悲願と執念。そして挫折の乗り越えて、楽しい華やかな橋となったのだ。

おそらくではあるが、今でも当時の執念の名残を見ることができる。
私の思い込みかもしれないが、平安座島から橋へ入ると、左側の干潮時に人が持って歩けるほどの石がゴロゴロしている。
海は、放っておけばいろんなものを平たんにしてしまうはずなのに、不自然に思えるのである。
繰り返すが、これは私の思い込みである。
それでも私は、このゴロゴロした風景が好きである。
転がっている石には凄まじい苦労がにじんでいる。そして、その苦労に勝る希望も詰まっているのである。

もしも、海中道を干潮時に通ることがあれば、一度見てほしい。
それと私の思い込みが、ただの思い込みで間違っていた場合、どうか私にそれを教えないでほしい。
いつか、自ずと真実に出会うまでは、私にとって苦労と希望のゴロゴロであってほしいと思うのである。


その日、道の駅で案内の石板を見ているとき、
異常に距離の近い中国人が、美味そうにサーターアンダギーを頬張っていた。
それに影響され私も一つ購入し、おっぱ牛乳といただいた。
びっくりするほど美味しかった。
あやはし館へいった際には是非、一度たべていただきたい。
サーターアンダギーを頬張る距離の近い中国の方
おっぱ牛乳とのベストマッチ


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日々徒然

だからよ

『だからよ』
『だからねー』
『だからさー』
誠に便利なことばである。
沖縄の方言のなかでも、この言葉の便利さは抜群である。

そろそろじゃないの?と問いかければ『だからさー』となり、
今度、食事行こうと誘えば『だからねー』となる。
ありがたいのか、迷惑なのかの感情は完全にオブラートに包まれている。

いつ行くのか予定も立たずに、結局は相手の良いように進んでいく。

ただ、便利ではあるのだが、使い方には技術がいるようで、
使い方の呼吸を心得ておかねば妙なことになる。

たとえば、妻に書類を頼まれて、その書類の事を聞かれたとして、
『だからよ』なんて答えてしまえば、『だからなに?』とすぐさま返されてしまう。
下手を打てば、相手の機嫌を損ねてしまう。

私は、時間に遅れてきても『だからさー』で済ましてしまう友人に囲まれており、
同時に、彼らは反省などしておらず、これからも『だからさー』で片づける気満々である。
また彼らは、この使い方が絶妙で、待たされたとしても怒りは湧いてこない。
私は、この使い方が下手な方で、この先も上手くなれる気がしない。
頭が固いのがダメなのだと思う。

もしかしたら、『だからさー』は技術云々ではなく、
使える人間と、使われる人間の二つにわかれるのかもしれない。

使える人が本当にうらやましい。


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キンニクツウ

筋肉痛。
変な角度でペンキを塗り続けたせいだ。
肩から首にかけて痛い。

私は、筋肉痛に襲われるたびに、今でも筋肉痛を長い間勘違いしていたことを思い出す。

幼稚園ほどの頃か、膝の周りと太もものあたりが痛くて寝れない日があった。
隣で寝ている母を頼り、イタイイタイと嘆き続けた。
私がイタイとグズる度に、母は『筋肉痛だから明日には治って強くなるんだよ』と励ましてくれていた。
私は得体のしれないキンニクツウなるものに憎しみを抱きつつ、キンニクツウなるものを考え続けた。

翌朝には、すっきりと痛みは引いていて、あんな思いは二度とゴメンだと思った。
同時に閃きと希望が頭をよぎった。
『キンニクツウは、なるほど筋肉2(two)なのだ。』
以前までは筋肉1で、痛みを乗り越えて、今は筋肉2なのだと。
本当に強くなった気がしたし、心なしか足も速くなった気がした。
それならば、さっさと筋肉3も、筋肉4も乗り越えて強くなりたいとも思ったので、次のキンニクツウが楽しみになった。
とんだ幸せ者である

この勘違いは長いこと気付かなかったと思う。
というのも、次にキンニクツウが襲ってきたとき、痛みをこらえて母に『明日から筋肉3になるぞ』と言ったのだが、
それを子供の戯言だと思ったのか、母は『それは、よかったね』と軽く受け流していたからだ。
私の勘違いには母にも罪がある。

勘違いの怖いところは、実際に勘違いをしている本人にはわからないということだろう。

長じてからは、賃貸物件などによく見られる『空あり』の看板を
『ソラあり』と読んでいた。
ソラなんてどこにでもあるのに不思議だと思っていた。
他にも、東名高速道路の名前がでるたびに、透明な高速道路だと思って、21世紀のワクワク感に浸っていたりした。

勘違いは恥ずかしいが、本人にとっては幸せなことが多いのかもしれない。





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妻とランチ

妻とランチに行ってきた。

場所は宮城島の塩工場『ぬちうなー』である。
眺めは抜群で、目の前に太平洋が広がっている。

この海にはリーフがあり、遠目には白波がたっている。
優しい穏やかな海とは違い、ここは迫力のある眺めだ。

ここの波は力がありサーフィンをするにはもってこいなのである。
しかし、大潮の時などは流れが速くなるので、注意が必要だ。

あるサイトから拝借してきた画像を貼っておく。


ここのポイントが本気をだしたら、こんな波が立つそうだ。
間違いなくワールドクラスである。
自分の技量をわからずに入れば、かなりの高確率で無事では済まない。下手をすれば命すらおとしてしまう。
まさに手に汗握る光景だ。自然の恐ろしさを感じる。

ともあれ、これほど猛々しい表情をみせるこの海は、天気さえよければ毎日、美しい表情をしている。

猛々しさを秘めた海だからこそ、みせる美しさだと感じた。

写真には写ってはいないが、真下には石がひかれてあり、かつての人々が船を出し入れしていたのだろうか。と思わせるものもあった。

そんな宮城島からの太平洋を望みながらのランチは贅沢な時間でした。


冬だけど、夏野菜カレー

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お仕事

フッ素

本当に艶がいい。

フッ素塗料を最近塗った感想。

フッ素塗料の特徴は、何と言っても耐久性。
しかも、ただ長持ちするだけではない。
汚れが付きにくいのだ。お鍋にもフッ素加工があって、オコゲが付きにくくなっているのと同じだ。
フッ素塗料は、スカイツリーの塗料にも採用されている実力と実績がある。
塗った感触としても、塗料の乗りがいいし、よく伸びて施工はしやすい。

しかし、施工後には、強烈なシンナーで手や体についた塗料を落としてのち家路につくのだが、
困ったことに、これがなかなか落ちない。
なので、施工前には、顔や手などにクリームを塗って仕事に当たらなければならず、
そうでなければ3~4日は汚れたままになってしまうのである。
まあ、落ちないのもこの塗料の強烈な実績になるのだろう。

施工した後の壁の手触りも良し
艶も良し
耐久性も良し

本当にすごい塗料だ。

その分、やはりデメリットとしては、お値段である。
下地・中塗り・上塗りとそれぞれ材料が異なる上に
それぞれのお値段も、ほかの塗料と比べてダントツに高い。
一番安い塗料と比べれば10倍ほどは変わってくるだろう。

ならば、自分で仕入れて、自分で塗れば少しは安くなると考える方もいらっしゃるでしょうが、
下地、中塗り、上塗りと作業と材料が違うため、手間も増えるうえ、一度、材料を作ってしまうと、その日のうちに施工しないと翌日には固まって使えなくなってしまうので、何にせよ、難儀が多い。
匂いなどに慣れていなければ、体調だって崩してしまうかもしれない。
難しい塗料であるだけに、やはり職人さんに任してしまう方がいいかもしれない。

ご自分で塗り替えをしようと考える方は、難しい塗料を使うよりも、使いやすく、それなりに良い塗料はありますので、
私どもに一度ご連絡をください。
高級塗料らしい艶

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日々徒然

雲一つしかない天気



快晴。
この頃、いい天気が続いている。
外に出ていても暑いくらいで
空を見上げれば、雲一つなく身体の中まで青天が広がっていく気分だ。

『あぁいいなぁ』と、冬には貴重な陽気をとりこもうと深呼吸したのだが、空の低いところに呑気な雲が一つ。
ノロノロと浮いている。
『雲一つない快晴だ』と、空に溶け込んでいたさっきまでの私の気分は、ノロノロと移動する雲には無関係であった。

ノロノロ雲に言わせれば
誰から何と言われようと。周りに誰も居なくても。オレはオレなりにのんびり行くぞ。ということなのだろうか。
ともかくも、雲一つない快晴を味わうには、ノロノロ雲が消えるまで待つしかなくなった。

しばらく作業を進めての後、再び空を見上げると、さっきまでのノロノロ雲はいなくなっていたのだが、
ノロノロ雲の兄弟ともいえそうな小さな雲が、3,4個、同じようにノロノロと浮いていた。
その後、だんだんと雲が増えていき、スマホを開いて明日の天気を見てみると曇りとなっていた。

なんともあの雲は、広大な青空を雲で覆う先駆者だったのである。
ノロノロと呑気に見えた雲は、いかにも勇敢で孤独を恐れない英雄だったのだ。

いいものを見たと思った。

私も頑張ろう。

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プロフィール
環総合
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環総合 代表の我那覇と申します。
主に外壁の塗装と防水工事を商っております。
他にも協力会社との連携により内装のリフォームなどお客様のご要望にお応えできるよう日々勤めております。
このブログは仕事の事ばかりでは堅苦しいので、私の息抜きという意味からも日常のことを綴ろうかと考えています。
間違ったことがあれば是非ご指摘くださいませ。


詳しくは環総合公式ホームページ
http://tamakisogo.jp/
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