日々徒然
京都編1
京都へ行ってきたので、連続で旅の思い出を綴っていく。
[古田織部]
大堰川の左側、渡月橋の辺りから、もう少し下ったところに宿をとった。
その宿泊した宿の中庭にはいくつかの灯篭のなかに、一つだけ古そうに、小さく佇んでいるものがあった。
それは、キリシタン灯篭と呼ばれているもので、形は周りのものと比べてみても少し妙である、この形の考案は古田織部正だそうである。
この宿は昔、角倉了以の敷地で、その息子、素庵は茶道を通じて織田有楽斎や古田織部正ら文化人とも親しく、その灯篭も、もしかしたら織部正本人が置いていったかも知れない。
織部好みの妙な形をした灯篭は、今でこそ長い月日を経て地面に沈み、そして苔が生え、石肌が風化して、角は丸くなり、ようやく土になじんだように見えるが、この灯篭の設置当時は庭の中でも異彩で、草木の若い中では、目立っていただろうなと思った。
大名としては、へんちくりんな織部正は、今も『へうげもの』と呼ばれ、虜になる人は決してすくなくはないが、千利休の弟子としてだけでなく、織部好みといったような日本的美の基準の一つとして、日本人の生活の中に存在している。
この苔むして古びた灯篭にしても、紅葉の落ち葉を数枚頭にのせた姿が美しく、それが新緑の夏でも、雪でも、桜の花びらでも変わらぬ美しさがある。
もしかしたら、この灯篭も、織部正が400年という途方も無い年月を愉しもうと置いていったのかも知れず、400年たった今も幽霊となってニヤニヤしながら悪くないと思いつつ庭を眺めているのかもしれない。

トータルリフォーム環総合
[古田織部]
大堰川の左側、渡月橋の辺りから、もう少し下ったところに宿をとった。
その宿泊した宿の中庭にはいくつかの灯篭のなかに、一つだけ古そうに、小さく佇んでいるものがあった。
それは、キリシタン灯篭と呼ばれているもので、形は周りのものと比べてみても少し妙である、この形の考案は古田織部正だそうである。
この宿は昔、角倉了以の敷地で、その息子、素庵は茶道を通じて織田有楽斎や古田織部正ら文化人とも親しく、その灯篭も、もしかしたら織部正本人が置いていったかも知れない。
織部好みの妙な形をした灯篭は、今でこそ長い月日を経て地面に沈み、そして苔が生え、石肌が風化して、角は丸くなり、ようやく土になじんだように見えるが、この灯篭の設置当時は庭の中でも異彩で、草木の若い中では、目立っていただろうなと思った。
大名としては、へんちくりんな織部正は、今も『へうげもの』と呼ばれ、虜になる人は決してすくなくはないが、千利休の弟子としてだけでなく、織部好みといったような日本的美の基準の一つとして、日本人の生活の中に存在している。
この苔むして古びた灯篭にしても、紅葉の落ち葉を数枚頭にのせた姿が美しく、それが新緑の夏でも、雪でも、桜の花びらでも変わらぬ美しさがある。
もしかしたら、この灯篭も、織部正が400年という途方も無い年月を愉しもうと置いていったのかも知れず、400年たった今も幽霊となってニヤニヤしながら悪くないと思いつつ庭を眺めているのかもしれない。

トータルリフォーム環総合