環総合 我那覇のワタクシ的ブログ

日常の事、思ったことを綴ります。 ただ単に私的なブログでございます。

日々徒然

春である

春である。
春と言えば桜だが、沖縄では、南部の方をわずかに残し、あとはすっかり葉桜となってしまった。
春は、相変わらず好きにはなれないが、桜の花が落ち始めると、
なにか季節を惜しむようでソワソワしてしまう。
夏が来るのかと、すでに心は秋を待ちわびながら車を運転していると、
西行が渋滞しているらしいと道路案内がでてきた。
しかも500mもである。
朝の時間は貴重なのだが、ふと平安時代の西行法師が『散る花を 惜しむ心や とどまりて また来ん春の たねになるべき』
と詠み、桜の花を愛おしみながら、行こうか留まろうかと500mもウロウロしているのかと想像して一人笑ってしまった。

が、わたしの周りには、和歌や俳句、または短歌といったようなものを好む友人はひとりもなく、また妻に話した所で聞いてはくれるが、暖簾に手押しという具合で話していてもつまらない。

我にかえり、西行きを迂回するルートに道を変えつつ共有できない寂しさとともに、
やはり春は憂鬱であると思った。




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日々徒然

2019年のモットー

あけましておめでとうございます。
皆様に支えていただき、2018年もなんとか年を越すことができました。
本当にお世話になりました。
2019年は、お客様のご要望にお答えできるよう、より一層努力してまいります。

2019年の私のモットーは
『一日一日を丁寧に、謙虚に生きる』でございます。
私が日課にしている、5年日記の片隅に、一日を白星、黒星と評価している欄があり、一年を通して勝ち越せるように努力しているのですが、その評価も一層厳しくして参ります。

それと、ブログの更新が、私の趣味のことばかりで、仕事のことを全く更新していないので、それも少しづつ更新していこうかと考えております。
ともあれ、仕事のことに関しては、ホームページで十分かと思われますし、何より仕事云々と申しましても、仕事をするのは『人』でございます。そもそも私という人間の自己紹介のつもりで書き始めたということもありますので、ブログの趣旨は変わらないと思います。
それよりも、ますますマニアックにならないよう気をつけて参ります。
そんなことを、つらつらと書いても始まりませんので、
これをもちまして、新年のご挨拶とさせて頂きます。

本年も、よろしくお願いいたします。




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日々徒然

少しだけ年末の掃除

年末だなぁと思いながら

本棚の掃除をしていると、栞が途中に刺さったままの本が目立つ。
自覚はしているものの、本当に読みかけの本ばかりである。
読みかけを、1年や2年ほっといても、続きを読めば思い出せるのは私の特技だと思っているが、それにしても量が多い。
本を手にとって覗いてみようとしたら、急に栞が『枝折』に頭の中で変換された。

どちらでも、『しおり』と読むこの字の語源は、かつて、道しるべのために枝を折って歩いたことがそうで、現在では物語の道しるべとして活躍している。

『吉野山 去年(こぞ)のしおりの道かへて まだ見ぬ方の 花をたずねむ』
これは西行の歌だが、いまでは、『まだ見ぬ先の物語をたずねむ』といったところだろう。

私の場合、ほとんどの枝を折りっぱなしで、再び訪ねるのはいつのことだろうか。
きっと折った枝は、落ちてしまい、新しく再生しているに違いない。




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日々徒然

京都編3

京都という土地は、古代より近代に至るまで信仰、文化、政の中心であったが故に、古いものが多く残っている。
なかでも糺の森は、いかにも太古の面影を残しており、
まさに、『何ごとのおはしますかは知らねども』の何かが、古木やせせらぎの中に感じることができる。
糺の森は下鴨神社の参道でもあるが、その鳥居をくぐるころには、何ごとかの偉大さに打たれて、すっかり洗練され己が小さくなっている。
大げさに言えば禊を済ませた後のような気分になるのである。
『何ごとのおはしますかは知らねども』であるにも関わらずである。

目にも見えぬ何ごとかに、手を合わせたくなる日本人の信仰心は、とりわけ、世界でも稀だろうと思う。
その信心は、日本人の情緒の中に、今でも生きており、逆に言えば、その信心の有無に日本人か、そうでないものかに分けることができると言っても言い過ぎでは無いと思う。

ここ10年足らずの間に、京都はすっかり外国人の観光客で埋め尽くされてしまったが、糺の森の『何ごとか』の偉大さを感じることが出来るのは、日本人である証ではないだろうか。




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日々徒然

京都編2

山があり、谷があり、川があり、そこに朝靄でも立ち込めれば、その風景に、その土地の神を見るような思いがするもので、その瞬間、その場所には必ずしも仏教は似合うものではないと思う。
やはり、日本の風景には神がいて、日本の伝統や文化、それに信仰を形成するためには、神仏習合はかかせないのかもしれない。
が、山や川など、自然のものを眺めている間、本地垂迹は仏教からの目線よりは、日本古来からの八百万の神々からの目線の方がしっくりとくるような気がしてならない。

幾万もの神々が静かに在る。
嵐山の朝焼けには、そう感じざるを得なかった。



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日々徒然

京都編1

京都へ行ってきたので、連続で旅の思い出を綴っていく。

[古田織部]

大堰川の左側、渡月橋の辺りから、もう少し下ったところに宿をとった。
その宿泊した宿の中庭にはいくつかの灯篭のなかに、一つだけ古そうに、小さく佇んでいるものがあった。
それは、キリシタン灯篭と呼ばれているもので、形は周りのものと比べてみても少し妙である、この形の考案は古田織部正だそうである。

この宿は昔、角倉了以の敷地で、その息子、素庵は茶道を通じて織田有楽斎や古田織部正ら文化人とも親しく、その灯篭も、もしかしたら織部正本人が置いていったかも知れない。

織部好みの妙な形をした灯篭は、今でこそ長い月日を経て地面に沈み、そして苔が生え、石肌が風化して、角は丸くなり、ようやく土になじんだように見えるが、この灯篭の設置当時は庭の中でも異彩で、草木の若い中では、目立っていただろうなと思った。

大名としては、へんちくりんな織部正は、今も『へうげもの』と呼ばれ、虜になる人は決してすくなくはないが、千利休の弟子としてだけでなく、織部好みといったような日本的美の基準の一つとして、日本人の生活の中に存在している。
この苔むして古びた灯篭にしても、紅葉の落ち葉を数枚頭にのせた姿が美しく、それが新緑の夏でも、雪でも、桜の花びらでも変わらぬ美しさがある。

もしかしたら、この灯篭も、織部正が400年という途方も無い年月を愉しもうと置いていったのかも知れず、400年たった今も幽霊となってニヤニヤしながら悪くないと思いつつ庭を眺めているのかもしれない。



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真理

『ああ、そうか、解った。』と、急にひらめくことがある。
そのひらめきを得られるときは、美術や景色などが放つ、一瞬の内の美しさに出会ったときに限られていて、
とりわけ景色である場合が多い。
しかし、不思議なことに何が解ったのか、何がひらめいたのか、全くわからないのである。

おそらくではあるが、多分にそれは、『真理』を見たのではないかと思う。

何がひらめいたのか解らないというのも『真理』とは、『言葉』を超越した存在であり、
そうであるが故に、頭の中では、カタルシスのような感覚を得つつも、言葉で形にすることが出来ずに消えていってしまうからではないかと思うのである。

そうであるならば、真理とは、人間の情緒の中に存在するもので、その真理を理解するために、
多くの哲学者や宗教者は苦心しており、
また、真理を表現しようと、多くの美術家や音楽家は苦悩しているのかもしれない。
何とも、それらの人が、随分と遠回りなことをしているなとも思えるが、
同時に、哲学や宗教、また、音楽や美術などを理解しようとしない人は、自ずと真理から遠ざかっているような気もする。

もう一度出会いたいと思っていても、真理へ至るには、道はあれど近道はなく、目的地はあれど方向の解らぬ終わりのない旅路のようなものではないかと思う。
結局、哲学的にならざるを得ないのかと苦笑する。

理解しようとすればするほど『ああ、そうか、解った』というあの一瞬の簡潔さに比べて、
言葉で考えて再び凝り固まってしまうのである。



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日々徒然

香気

最近、後輩と議論になったことがある。
というのも、その後輩が最近政治に触れる機会が多いらしい。

その後輩曰く、戦争はなくならないそうであり、貧困や格差は解消されないらしい。
その悲痛な意見を、自分の中に結論として持っている様で、それはいかががなものであろうかと口論になった始末なのである。

私が思うに戦争や格差、または貧困のないユートピアを思い抱くことは、とても大事であり、
たとえ、そのユートピアが一代で叶わなくても、それはそれで本望であり、次の代へ引き継いで行けばいいだけの話である。
個人に置き換えても同じだと思う。
理想や夢を抱いて生きるから、嫌なことにも立ち向かうことができるし、道徳と共に生きることができるのだと思う。
いわば理想や夢、または、ユートピアは指針なのである。

最近、昔に読んだ本を、パラパラとめくっていると、司馬さんの一文にしっくり来るものがあった。
『認識は、わけ知りを作るだけである。わけ知りには、志がない。
志がないところに、社会の前進はないのである。
志というものは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、
花がそうであるように、香気がある。(引用:菜の花の沖)』と言うもので、
人の世にしても野原にしても、これが自然の摂理なのではないだろうかと思った。

それにしても議論というものには勝ち負けが付随しているのか、終わったあとも後味の悪いものである。



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日々徒然

消えた番号

小学校の頃、保健室から『熱がでたから、迎えにきて』と電話した。
学校帰りに、『今日はばあちゃんの家に行っていいか』と電話した。
夏休みには、『泊まっていっていいか』と電話した。
家にいると、『父さんはいるか』とか『母さんはいるか』だとかで、電話に出ていた。
無駄に時刻も聞いたし、天気予報も聞いた。
ラジオ体操カードの裏の、怪談話やアニメの電話番号へは1日に1回かけた。
友人宅の電話番号はいくつも覚えており、ことあるごとに電話をしていた。
イタズラ電話だったり、ポケベルだったりと電話は思い出だらけである。

一家に一回線あった固定電話は、一人一台の携帯電話になった。
固定電話の時代はどんどん過去のものになりつつある。

最近では、私の実家も、ついに回線の解約をした。

何度もかけた電話番号は、今や思い出だけのものとなり、
今まで電話機が置かれていた電話台は、電話機を失い、不自然な存在のまま佇んでいる。

973の〜から始まる我が家の番号は、ただの番号であるはずなのに、家族の一員であったように今では思う。
40年近く我那覇家に繋がる番号であったのだから、家族の一員であるのは当然かもしれない。

今ではどこへも繋がらない番号となったことが、ただただ寂しい。

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日々徒然

いざよい

発熱で床に臥せてると、東の窓から
よいよいと月が登ってきた。
よく晴れた夜空に十六夜の月が美しい。

この月が窓の枠に収まっている間、ふと正岡子規の病牀六尺を思った。

もし今、子規が同じ風景を眺めているとすれば、随分と安らかな心地であったろうなと想いを寄せた。

明日は立ち待ち月。
十七日の月である。
高浜虚子が詠んだ
『子規逝くや十七日の月明に』
が思い起こされて胸がつまった。



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プロフィール
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環総合 代表の我那覇と申します。
主に外壁の塗装と防水工事を商っております。
他にも協力会社との連携により内装のリフォームなどお客様のご要望にお応えできるよう日々勤めております。
このブログは仕事の事ばかりでは堅苦しいので、私の息抜きという意味からも日常のことを綴ろうかと考えています。
間違ったことがあれば是非ご指摘くださいませ。


詳しくは環総合公式ホームページ
http://tamakisogo.jp/
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